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東京地方裁判所 昭和24年(ワ)1399号 判決

原告 塩原イマ

被告 国

一、主  文

被告は原告にたいし金五万三千二百九十五円の支拂をせよ。

原告その余の請求を棄却する。

訴訟費用は之を二分し各その一を原被告双方の負担とする。

二、事  実

原告訴訟代理人は「被告は原告に対し金百万三千二百九十五円の支拂をせよ。訴訟費用は被告の負担とする」との判決を求め請求の原因として次の通り陳述した。

(一)  昭和二十四年二月五日午前十時三十分頃から同十一時三十分頃迄の間に原告の肩書住居の東道路をへだてた隣家塩原喜助方に、盗難があり衣類二十点が窃取されたということである。

(二)  同月十二日午前十一時三十分頃埼玉縣兒玉郡本庄地区警察署刑事が原告方に來て当時十八歳で昭和二十二年二月以來脊髓カリエスのため臥床中であつた原告の長男昇にたいし「取調べたいことがあるから駐在所迄同行せよ」といつたが「歩けないから行かれない」と拒否したところ同刑事は自轉車に乘せてゆくから來いというのでやむなく座敷をはつて入口におり自轉車の荷台に乘せられ旭村駐在所迄連行された。

(三)  駐在所では椅子に腰をかけさせられ原告の家庭の事情など問はれたのち、前記塩原喜助方の窃盗犯人は昇だろうと或は威嚇的に或は慰撫する様に訊問をうけたが身におぼえがないから否認したところ刑事は「図太い野郎だ証拠があるのに」と言いながら昇の背部を毆打した。昇は椅子に掛けているだけでも頗る苦痛であるのにカリエス背部を毆打されたので苦痛にたえず前にのめつたところ傍らにいた同駐在巡査五百部四郎は昇を抱き起して「はやく自白すれば痛い思いも寒い思いもしないですむのだ」と言つたので昇は取調べの刑事の言ふがままに「エー」と答えて午後六時頃訊問を終つて帰宅を許された。

(四)  訊問終了後、刑事は原告方に來て座敷に上り昇にたいして「盗んで賣つた代金の使いのこり三千円を出せ」といつて昇から金三千円の交付をうけてから箪笥の抽斗を檢査し、塩原喜助方の同居人古沢覚藏同マツの夫婦をよんで來て衣類を見せた上、右三千円と原告が代金二百九十五円で配給をうけていた疊表一枚をこれも盗品の代金で買つたのだろうといつて原告より奪い之を古沢夫婦に交付した。よつて原告は刑事の不法行爲によつて右金三千円と疊表代金二百九十五円の損害を蒙つている。

(五)  右のとおり昇は病中不当に長時間の取調べを受けた上に暴行をうけ遂に無実の自白を余儀なくされ加之刑事の取調及家宅搜査を見た近隣の者は窃盗犯人は昇だと傳え新聞紙上にまで掲載されるに至り昇の名譽は甚だしく毀損された。以上昇が蒙つた肉体的精神的苦痛を慰藉するには金五十万円を以て相当としこの慰藉料請求権を原告は昇の死亡によつて相続している。

(六)  昇は前記取調をうける迄病気が一時快方に向いていたが、不当な取調をうけたために病状が急激に惡化し、同年五月十一日死亡するに至つた。原告が長男昇を喪つた精神上の苦痛を慰藉するには金五十万円を以て相当とする。

(七)  以上、(四)(五)(六)の損害金の合計金百万三千二百九十五円は、国の公務員の職務執行上の不法な行爲によつて原告が蒙つたものであるから、被告は之を賠償する義務がある。

被告指定代理人は「原告の請求を棄却する、訴訟費用は原告の負担とする」との判決をもとめ、請求の原因にたいし

(一)  は認める。

(二)  のうち、昇が当時十八歳で昭和二十三年初頃から脊髓カリエスにかかつていたこと、昭和二十四年二月十二日午前十一時三十分頃本庄地区警察署刑事係巡査が昇にたいし旭村巡査駐在所に出頭を求めたこと、昇が右巡査の自轉車の荷台に乘つて駐在所に出頭したことはみとめるが、その他の事実は否認する。

(三)  のうち右駐在所事務室で右刑事係巡査が昇を窃盗の容疑で取調べその際駐在巡査五百部四郎が立会つたことは認めるが、その他の事実は否認する。

(四)  のうち昇から古沢覚藏夫婦に金三千円と疊表一枚を交付したことは認めるがその他の事実は否認する。

(五)  のうち昇の名譽を毀損したことは否認する。

と答え被告の主張として次の通り陳述した。

(イ)  昭和二十四年二月五日午後一時頃国家地方警察埼玉縣本庄地区警察署旭村巡査駐在所に同村大字都島八百七十一番地塩原喜助の娘マツから喜助名義で同日午前十時十五分から同十一時三十分頃迄の間に衣類十二点を窃取されたという被害届があつた。同駐在所巡査五百部四郎は、直ちに搜査に着手したところ被害のあつた時刻の前後に被害者方附近に浮浪者や行商人の立廻りもなく犯人は附近の者と思われたので、その線にそつて搜査を進めた。近隣の風評によると被害者方西隣の原告方の生活状態は豊でなく、その長男昇は前年春から病気にかかつているが盗癖があり、又被害時刻頃昇が自宅附近を徘徊しているのをみたものもあるとの聞込をえたので昇に容疑の点があると考えてその旨本署に報告した。

その結果同月十二日本署から刑事係巡査安藤琴治、蓮憲の両名が前記駐在所に出張し昇の任意出頭を求め取調べにあたつた。

(ロ)  安藤刑事は同日午前十時頃前記駐在所に到り五百部巡査より從來の搜査経過をきき更に本件犯行の翌日晝頃、六十歳位の人が風呂敷包みを首から背負つて原告方から出たことの聞込もあつたので昇を取調べることとし、午前十一時半頃原告方に廻つた処昇は炬燵に向つて坐つていたので「昇さん一寸尋ねたいことがあるから駐在所迄來てくれないか」というと昇は立上つて「駐在所までなら近いから行きませう」と台所におり雨傘を手にとつて駐在所に行こうとしたが安藤は当時昇が脊髓カリエスにかかつていることは知らなかつたが病気だということは知つていたから「自分の自轉車で行こう」というと昇は自分で安藤の自轉車の荷台にのり駐在所に來た。

安藤は昇の病気が惡ければ原告方で取調べるつもりだつたが昇は臥床してはいなかつたし水袋、藥瓶等もおいてなかつたので軽い病気と思はれた上に、昇も安藤の言葉にたいし気軽に應じたので任意同行したにすぎない。

(ハ)  駐在所事務室では安藤と昇が机をはさんで向いあつて椅子に坐り火鉢をおきその横に五百部が坐つた。そして安藤から原告家の状況昇の病状をききついで窃盗の容疑について訊ねたところ、はじめは否認したが情理をつくして説得されたので遂に供述調書(乙第三号証)に記載されてある通り窃盗の事実を自白し同日午後二時頃蓮刑事が右の自白を調書にとつた。

その間安藤、五百部は昇の自白した足取りと被害者方の状況を確めに塩原喜助方にいつたがその結果は昇の自白と一致していた。その後間もなく原告も駐在所に來たので取調べ午後四時頃昇と原告は一緒に帰宅した。

(ニ)  取調べの際、昇は「盗品の代金で配給をうけた疊表一枚と残金三千円を被害者に返したい、盗んだ衣類は全部賣つてしまつて自宅にないから家へ見に來てくれ」というので安藤と蓮は、被害者古沢覚藏同マツと共に原告方に行つて原告から箪笥や抽斗の中を見せてもらつたが被害品はなかつた。その際昇と原告は泣いてわびながら古沢夫妻に直接金三千円及疊表一枚を手交したのである。

なお本件窃盗事件については賍物の処分先について相当搜査したが確認するに至らなかつた。

(ホ)  要するに本庄地区警察署は刑事訴訟法に從つて合法的に任意搜査により必要な取調べをしたものであつてその間何等違法の点は存しない。

<立証省略>

三、理  由

(一)  昭和二十四年二月五日午前十時三十分頃から一時間ぐらいの間に塩原喜助方に、盗難があり衣類二十点が窃取されたとの届出が右喜助名義でなされたことは当事者間に爭がない。右窃盗の被害が眞実にあつたかどうかについて考えてみると、右被害届出書に「被害品は衣類十二点」を記載されていることは成立に爭のない乙第二号証の記載によつて明らかである。前記喜助方の同居人で被害者である、古沢マツの証言によると、「二十点ばかりの衣類が被害にかかつた」旨供述しており、証人蓮憲は「本件犯罪直後被害者古沢マツより衣類十点ばかり窃取されたとの供述をうけた」旨証言して被害点数がそれぞれ一致していないし、又古沢マツの証言から同人の被害品についての記憶が必ずしも明確でないことがうかがわれるので果して本当に窃盗の被害があつたものかどうか疑う余地はあるが、その被害がなかつた旨の心証をうる丈の証拠もない。只搜査官が前記被害届の提出をうけるや、これに何等の疑問も抱かず直ちに眞実に窃盗がなされたことを、確信して搜査を進めたことは証人安藤琴治の証言によつて明らかである。

(二)  証人古沢マツの証言によると「同人は同日午前十時十五分頃より同十一時四十分頃迄前記喜助方をあけその間全戸不在であつたが午前十時三十分頃一度帰宅したときには異状がなかつた」とのことであり、右証人と大体行動を共にしていた原告もその本人訊問において大体同趣旨の供述をしているから窃盗がなされたとすれば同日午前十時三十分頃より約一時間の間であろうことが推測される。そして証人橋本イトは「同日午前十一時頃原告の長男昇をその住居でみた」旨証言しているから、この証言に誤がない限り、もし右昇が右窃盗の犯人であるとすればその犯行は午前十一時頃の前又は後の約三十分間の間になされたものであろう。

(三)  昇が昭和二十三年初頃から脊髓カリエスにかかつていたことについては当事者間に爭がなく、証人福島茂夫(医師)の証言によると、昇は脊髓カリエスの外肺結核にかかつていて、同年二月中旬はじめて右証人の診察をうけた当時は脊髓カリエスよりむしろ肺結核の方が重症であり絶体安静を命じたこと、右初診のとき以後同年十二月十四日迄毎月又は二月に一回宛診察をうけていたこと及び同年末頃には病状がやや快方に向つていたことがみとめられ証人佐藤政治郎、古沢マツの証言及原告本人訊問の結果を綜合すれば、昇は同年二月頃より翌二十四年二月頃迄の間主として自宅において臥床していたが用便は通常自ら戸外の便所にいつて用を足しており時には自宅の庭先に出て散歩をしたり、或は、弟達とマリ投げに興じていたこともあることが認められる。しかしながら、昭和二十四年二月十二日頃昇の顔面は蒼白であり一見病人であることが明瞭であつたことは証人五百部四郎及安藤琴治も証言しているからその病状で隣家に忍び込み衣類十数点を窃取しうるかどうかについて考えてみると、原告方を出て隣家塩原喜助方に侵入し窃盗をなして原告方に帰るには少なくとも約三十米の距離を歩かなければならないことは檢証の結果明らかであり右喜助方の被害品目を集めると相当の容積重量に上ることは成立に爭のない乙第二号証自体によつて明瞭であり、之を前認定の病状にある昇が前認定のとおり約三十分間の間に窃取し自宅迄運搬しうるか、かなり疑はしいことは証人福島茂夫の証言を俟つまでもなく明なことである。尤もこれのみを以て昇が右の犯人でないと断ずることも困難である。

(四)  証人古沢マツは「本件窃盗がなされたと称される昭和二十三年二月五日には日常身綺麗にしている原告がいつになく身なりをかまわず落つかなかつた」旨証言し又同証人及証人橋本イトは「四日午前十一時三十分頃原告と共に附近の墓地より原告の家の方へ向つて帰る途中原告の家と塩原喜助方の間を歩いている人影を見て原告が異常に驚愕した」旨証言して本件窃盗は原告が計画的に昇になさしめた如き口吻をもらしているが、かりに同日の原告の挙措について右の様な異常な点があつたとしても之のみを以て右の如き疑をかけることは、早計であり、又原告及昇の近隣の風評が必ずしもよくなかつたことは右両証人及証人五百部四郎の証言によつてもうかがわれるところであり農村における近隣の風評が或程度は信憑しうるものであることも顕著な事実であるが、もとよりこれだけで原告又は昇に嫌疑ありとするに十分ではない。

(五)  昇が本件窃盗をなしえたとする証拠は結局同人の自供のみに帰着しその自供は成立に爭のない乙第三号証(供述調書)に記載されていることは被告自ら主張するところである。そこで右供述調書の記載の各部分が眞実に合致するかどうかを檢討するが若しその一部でも虚僞の自供であることが証明されるならば他の部分の信憑力は著しく減じ、延いてはその自供をうるについて何等かのかたちで肉体的又は精神的な不当の圧迫が加えられたかの疑が生じてもやむをえないであろう。

(イ)  前記供述調書に昇は塩原喜助方より窃取した衣類十七点を合計七千七百円ぐらいで自宅に來たものに賣却し内三千円ぐらいを原告に渡し其の外に二月十一日に本庄郵便局から保險の集金が來たので金八百円拂込んだと記載されているが本庄郵便局の保險集金人である証人渡辺輝吉は「昭和二十四年二月十一日頃原告方にいつたがその用件は原告方に小額の簡易保險六口ばかりがありその還付金が四百二十円あつたので之を他の大口のものに切換えてもらうためであつた。そしてそのとき二百十円の口にはいつてもらい後日郵便局に來て原告に残金二百十円を返還した。」「原告に関する簡易保險は右の外にはないと思う」と証言しこの証言は右証言によつて成立を認めうる。甲第四号証及成立に爭のない甲第五号証によつて裏書されているこのことから昇が保險料八百円を拂込んだとの供述は明らかに虚僞であつて、かかる供述をしたのは昇が衣類の賣却代金の支途を追及され取調べ前に保險集金人が來たことを思い出して苦しまぎれにかかる供述をしたことが推測される。

(ロ)  尚、昇は右供述調書において犯行の足どりは「隣家の表障子を開けて屋内に入り……奥座敷に入つて、盗んで座敷北側の障子を開けて裏庭に出て裏出入口より道路に出て自宅に帰つた」と自供した旨記載されその足どりが搜査見分報告書の末尾に図解してあることは成立に爭のない乙第二、第三号証によつて明らかであるが從來より原告方では塩原喜助方の北側の井戸を使用していたことは原告本人訊問の結果からみとめられ昇も之を使用していたことも明らかであるし又原告方と喜助方は古くから隣人としての交際をしていたことも右本人訊問の結果によつて認められるから昇は喜助方の家屋の構造衣類等の所在を知悉していたであろう。從つてもし昇が本件犯行を行つたとすれば喜助方の箪笥がおいてある北側の六疊にゆくのにわざわざ東側土間を経由するのは甚だしい迂回であり、又窃取して北側裏庭に出た後、その衣類をかかえて東方に出入口迄歩き裏通りに出て殊更道路を通つて自宅に戻るのは発見される危險が極めて多く、裏庭から喜助方の垣根の中を南進して帰宅すれば発見される虞も少ないことは檢証の結果明らかである。從つて昇の自供に基づき、犯行の足どりはすこぶる不自然で、この点からも又右搜査見分報告書が盗難事件当日の二月五日に作成せられていることに鑑みても右の自供が眞実ではない旨の疑を抱きうる余地を生じるであろう。

(六)  以上認定したとおり、塩原喜助方の窃盗犯人が昇であることを疑うべき一應の理由はあるが、同人が眞に右犯罪を犯した旨の確証はなく、一方同人に右犯罪の嫌疑は全然ないと断ずることも、原告提出の証拠のみでは不可能である。よつて右犯罪の搜査が正当に行われたかどうかについて考察する。

昭和二十四年二月五日塩原喜助名義で窃盗の被害届が旭村巡査駐在所に提出され、駐在巡査五百部四郎が種々内偵の結果犯人は昇であると目星をつけ、之を本庄地区警察署刑事係巡査安藤琴治に連絡したこと、安藤刑事は同月十二日午前十時頃右駐在所に出張してきて、五百部巡査より前記内偵の結果の報告をうけ、昇を取調べるため、同人を同行すべく同日午前十一時頃その自宅に自轉車で行つたことは証人五百部四郎の証言によつてみとめられ、ここまでは何等問題がない。

原告の主張によれば、「原告方にきた安藤刑事は臥床中の昇にたいし取調を要する事項があるから、駐在所まで同行せよといつたが、昇は歩けないから行けないと拒否したところ、自轉車にのせてゆくから入口までこいというのでやむをえず座敷をはつて下り、安藤刑事の自轉車の荷台にのせられて連行された」とのことであり、昇の供述を録取したものとして提出され、成立は眞正なものとみとめられる甲第六号証にも右主張に添う記載がなされている。一方被告の主張は「昇は炬燵に向つて坐つていて同行を求められると自分から立上つて土間に下り、雨傘を手にとつて、歩いて駐在所迄行こうとしたが、安藤刑事は昇が脊髓カリエスだということは知らなかつたが、病気だということは聞いていたので、自轉車に乘せて同行した」というのであつて同刑事もその証言で当時昇が脊髓カリエスだということを知らなかつたという点を除いて右主張に添う供述をしている。右事実を判断する資料は前記のものの外何もないからいずれとも断じ難いが、安藤刑事は昇が病気中であつて、而も脊髓カリエスにかゝつていることを知つていたこと、顔面は蒼白だつたこと」を証言して、自らみとめているし「同日が二月中旬の雨天の日であること」は被告のみとめるところであるから、相当寒かつたであろうことは想像に難くなく、かゝる日に病人を戸外に連れ出して同行することは健康上有害であることは常識上明瞭であり、又自ら刑事と称する者が駐在所への同行を求めれば、かなりの年配で地位のある者といえども特別の理由がない限り拒みえないのを通常とすることは顕著な事実であつて昇が一農家の十八才の少年にすぎないことは明らかに爭がないから、同刑事より進んで自宅において取調べてやる旨申出でない限り同行を承諾することは当然であり、かゝる申出をした証拠はないから、單に昇が同行を拒まなかつたからといつて何等強制を加えないで、任意同行したといえるかどうか頗る疑問である。要するに安藤刑事が駐在所へ昇を同行したことは、之のみを以て違法といえるかどうかはともかく、著しく不親切であつたことは明らかである。

(七)  駐在所に連行されてからの昇にたいする取調がどの様にして、何時間位なされたかについての原被告の主張は、請求原因の(三)及び被告の主張の(ハ)に摘示されたとおり、相互に全然食いちがつている。そして原告の主張に添う直接の証拠は、前記甲第六号証の記載と、原告本人訊問における原告の供述であり、被告の主張に添うものは、証人五百部四郎、安藤琴治、蓮憲の各証言であつて、夫々相反する供述をしているので、いづれとも心証をうることが相当困難ではあるが、少くとも次のような判断を下すことはできる。

(イ)  右にかゝげた証拠によれば昇が午前十一時頃駐在所に連行され、その事務室で椅子に腰かけさせられ、安藤刑事によつて午後二時頃まで引続き取調べをうけたこと、その間五百部巡査は時々席を外した外は、その席に立会つていたこと、午後二時頃蓮刑事が駐在所に出張してきて、安藤刑事の取調べを引継いで早くとも午後四時頃までこれをつゞけ供述調書を作成したこと、午後三時過に原告が駐在所にやつて來たが取調室にはいることは許されず、軒下に待たされていたこと、取調べが終つてから、昇と原告は徒歩で帰宅したことは認定できる。

(ロ)  更に前顕乙第三号証(昇の供述調書)を仔細に檢討してみると、昇の犯行の動機として、大里郡岡部村の行者のすゝめる温泉行の費用がなかつたことを記載してあるが、原告本人は岡部村の行者の祈祷をうけたのは盗難事件後の二月九日であつたと供述しており、昇が保險集金人に金八百円を支拂つたという記載が眞実に合致していないことは前段認定の通りであつて、両刑事がこれらの諸点について調査しなかつたことは両名の証言によつて明かであり、又安藤刑事は原告を取調べた際、以上の諸点及び昇が原告に交付したと記載されてある三千円についても何等尋ねていないことは同刑事の証言によつて疑ない。(証人蓮憲は原告に対しこの点を訊したと証言するが、右は証人安藤琴治、原告本人の各供述に照し信用できない。)

(ハ)  証人安藤琴治は、昇が犯行の足取りを前記(五)の(ロ)に記載したように図解して自供したので、後刻現場を調査したところ、その模様は昇の自供と一致していたと供述するが、証人五百部四郎の証言によれば、右の図面は昇の供述に從つて安藤刑事が作つたことになつており、その図面も保存せられていないのみならず、証人古沢マツの証言によると、二月十二日午後安藤刑事は單身で行つていて、しかも犯行現場の調査はしていないということであり、乙第二号証末尾の搜査見分報告書の日附が二月五日であることと考え合せると、乙第三号証中のこの部分の供述記載も昇の供述の任意性を確めるものではない。

(ニ)  証人塩原たつの証言及び原告本人訊問の結果によると、昇は取調を受けた二月十二日の夜早くもその無実たることを訴え翌日原告外一名に伴われて旭村駐在所まで再調を願い出て居り、更にその後も親戚の助力により被害品の行方を探索して警察署に調査を願い出ていることが認められ、このようなことは前に認定したような地位境遇にある昇や原告としてはよほどの事情があつてのことゝ考えざるを得ない。然るに五百部巡査、安藤、蓮両刑事等は昇の自供があることを理由として原告側のこのような願出に対して何等の処置をとつていないことは右関係者のひとしく供述するところである。

(ホ)  尚、当時の昇は長く病床にあつて、病状も必ずしも十分に恢復していなかつたこと、安藤刑事は昇が脊髓カリエスにかゝつていることを知つていたこと、昇の連行の方法が任意同行といえるかどうかすこぶる疑問であること、昇に対する取調が少くとも四時間半以上継続したこと、その間昇は終始椅子に着席させられていたことは前に認定したとおりであり、四時間以上も引続き取調べをうけるならば、健康体のものといえども、疲労困憊してしまうこと、脊髓カリエスが感冒、下痢等の病気とは異る重病であつて、殊に長時間椅子に着席させておくことは、甚だしい苦痛を與え、病状を惡化させることは証明を要しない事実である。

以上認定の事実及び(五)(六)に示した判断からみると、安藤、蓮両刑事は昇が否定できないような資料を入手していたわけではなく、内偵によつて抱いた嫌疑に基いて病弱な昇を強引に駐在所に連行した上、長時間追究した結果乙第三号証の供述調書を作成することができたにすぎず、しかしその中には被告主張のように昇が両刑事の説諭により悔悟して自発的に犯行を供述したものとするにはあまりに事実に反する陳述があり、両刑事は昇の自供と称するものが眞実に合致するかどうかをほとんど確めることなく、一旦の自供あるの故をもつて再調査の申出に何等の考慮を拂つていないということになる。前述のように昇に嫌疑をかけたことは必ずしも、不自然ではないが被疑者すなわち犯人ではないのであつて、傍証なきに拘らずこれを眞犯人として処遇しその弁解を否認と考え、被疑者その人から証拠を得ることのみに力めることは誤りである。両刑事は一旦嫌疑をかけた昇の自白を得るに急であつて、同人の主張弁解に耳を傾け、その眞実なりや否やを更に調査し、昇にかけた嫌疑の誤りでないかどうかを確める心構に欠くるところがあつたと言われても仕方がないであろう。このことゝ、証人五百部、安藤、蓮の各証言が重要な部分について一致しないところが少なくなく、しかもその事実は翌日すでに問題とされたものである以上記憶ちがいとは考えられないこととを参酌して、相対立する甲第六号証と右三名の証言とを比較檢討してみると、甲第六号証の記載内容の方がむしろ眞実に近いとの印象を受け、旭村駐在所における取調が右三名の云うように懇切丁寧に昇の自発的供述を求める種類のものであつたとは考えられず、むしろ、甲第六号証記載のような程度のものであつたかどうかは別としても、少くとも昇の取調にあたり右記載に近い有形無形の不当な圧迫が加えられたものと考えざるを得ない。

(八)  「昇及原告が帰宅すると同時に前記両刑事が古沢覚藏夫妻と共に原告方に赴いたこと」は当事者間に明らかに爭がないが、原告は「両刑事が無断で原告方座敷に上り、古沢夫妻をよんだ上、強制的に箪笥の中を檢査し、原告所有の金三千円及び疊表一枚を奪つて古沢に交付した」と主張するに反し、被告は「両刑事は座敷に上らず單に原告及び昇が自発的に右金品を返還するのを斡旋したにすぎない」旨主張するが、被告援用の証人安藤琴治は「両刑事とも原告方の座敷に上らなかつた」旨証言するに反し、同じく証人蓮憲は、「安藤刑事は座敷に上つた」旨証言していて、両証言に食い違いがあり、而もこの点は簡單明瞭なことであつて思い違い乃至忘却することは考えられないから、いづれかの証言が僞証であることが推測されこのため被告の主張が著しく弱くなつていることは否定できない。そして少くとも「本庄地区警察署では盗品の被害者への返還は差押、還付等の刑事訴訟法上の手続きによらず、直接被害者になしていたこと」は証人蓮憲の証言によつて認められるから本件においても、前記両刑事がかゝる方法をとつたものと思われるし、反対の証明がない限り、かゝる場合には、返還の際一應刑事の手を通すことが通常であるが、その反対証明はなく、一方昇は勿論原告も前に認定したこのとき迄の連行及び取調の経緯から到底刑事の申出を拒絶しえなかつたであろうことも推測されるから、かりに形の上では昇及び原告が任意古沢夫妻に返還したとしても、それは両刑事の威圧によるものと考えるのが相当である。すなわち金三千円と疊表一枚は、両刑事の強制によつて両刑事のいずれかに手交され、更に古沢夫妻に手交されたものと判断する。この認定に反する古沢マツの証言も信用できない。而して右疊表は既に一年以上を経過している現在その性質上何等かの形で処分利用せられ原告に返還すること能わざる状態にあるものと考えられる。

(九)  刑事事件の取調にあたつて、拷問を加えることが許されないのは憲法、刑事訴訟法等の規定を俟つまでもなく、当然のことであり、有形的に肉体に対し、暴行を加えることのみならず、無形の肉体的、精神的暴行を加えることも違法であることはいうまでもない。そして安藤、蓮両刑事が、取調に際して昇にたいして右の趣旨における暴行を加えたことは前に認定したとおりであり、「右両刑事が国の公務員であること」は被告の明らかに爭はない事実であるから、被告は昇の右暴行による肉体的、精神的苦痛にたいする損害を賠償しなければならない。

(一〇)  原告は尚「右両刑事が昇を取調べ、更に原告方に古沢夫妻をよんで前記金品を交付したゝめに、之等の事実が部落民につたえられ、昇は窃盗犯人の汚名をきせられ、その名譽を毀損された」と主張するが昇に嫌疑をかけ、同人について搜査することは前に判断したとおり格別違法なことでもなく、搜査官の如何に細心な配慮があつても、一旦搜査を受ければ、その事実が近隣の者に知られることは、殊に農村においては、現在ではやむをえないことであり、又搜査をうけたものをあたかも眞犯人であるかの如く考えることは遺憾ながら国民一般の常識であるから、昇にたいする搜査の方法において違法の点があつたとしても、直ちに昇の名譽を毀損したとはいゝがたい。

(一一)  更に原告は「昇は昭和二十四年五月十二日死亡し、その原因は前記両刑事の拷問によるものであるから、昇の母である原告は昇をうしなつたことにたいする精神上の苦痛にたいする慰藉料を請求する権利がある」と主張する。右日時昇が死亡したことは被告の明らかに爭はない事実であつて、昇が取調をうけた同年二月十二日の直後である十四日の昇の病状が約一ケ月半前より甚だしく惡化していたこと、その後昇の病状は好轉することなく、遂に死亡したことは証人福島茂夫の証言によつて認められるところであるが、昭和二十三年暮には多少軽快していたものゝ、もともと昇の病気は相当重症の肺結核及び脊髓カリエスであつたことは右証人の証言によつて明らかであり、昇が主として経済上の理由によつて、十分の療養をなしえなかつたことは原告本人訊問の結果みとめられ、肺結核の病状は種々な原因により、或は格別顕著な原因も考えられないのに、急激に惡化することがあることは顕著な事実であるから、前記取調が昇の死亡について或程度の原因をなしていたことは事実であろうが、その間に相当な因果関係ありとするには、なお証拠が十分でない。

(一二)  結局被告が賠償すべきものは、原告にたいし、(八)の金品及び昇にたいし、(九)の損害金であり、昇が死亡し、その損害賠償請求権を原告が相続によつて、取得したことは、明らかに爭がないから、被告は原告にたいし、之等を支拂わなければならない。そして(八)の金員は三千円であり、疊表の代價が二百九十五円であることは、被告の明らかに爭わない事実であり、(九)の損害金は一方において原告家の社会的地位、経済状態、昇の蒙つた苦痛等を考え、他方刑事事件の搜査について憲法並に刑事訴訟法が掲げる理想と刑事事件搜査のための国の予算それによつてえられる搜査官一般の教養水準並に物的設備等によつて、右理想が仲々達せられない現実その他本件にあらわれた諸般の事情を勘案した末で金五万円を以て相当とみとめる。

(一三)  仍て、被告は原告にたいし、右金員の合計金五万三千二百九十五円を支拂うべきものとし、訴訟費用の負担については民事訴訟法第八十九條、第九十二條を適用して主文の通り判決する。

(裁判官 近藤完爾 大沢竜夫 小林哲郎)

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